マッカーサーに会った昭和天皇はこう語ります。

『私は日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、全責任をとります。日本の名において

なされた全ての軍事指揮官、軍人及び政治家の行為に対しても、直接に責任を負います。私の運命について、貴下の判断が如何様なものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに全ての事を進めて頂きたい。私は、全責任を負います。』

この言葉にマッカーサーは驚きました。他の敗戦国の国王と同様、昭和天皇が命乞いに来るだろうと考えていました。世界の歴史を見ても、自らの命と引き換えに自国民を救おうとした国王はいなかったのです。

マッカーサーははこの時の衝撃と感動を自身の回想記にこう記しています。

『死を伴う程の責任、それも私の知り尽くしている諸事情に照らして、明らかに天皇に帰すべきでない責任までも引き受けようとされた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までも揺り動かされた。私はその瞬間、眼前にいる天皇が、個人の資格においても、日本における最高の紳士であると思った。』昭和天皇の言葉を受けたマッカーサーは次のように返答します。

『私は陛下に感謝を申し上げたい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進んでいるのも、これ全て陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも陛下のお力を乞わねば成らぬことが多い。どうかよろしくお願いしたい。』

マッカーサーは立ち上がって、昭和天皇の前へ進み、手を握りしめた。

『私は初めて神の如き帝王を見た』と述べました。わずか37分の会見でしたが、マッカーサー昭和天皇に対する態度は180度変わりました。会見前はふぞりかえっているような態度をとっていたのが会見後には昭和天皇のやや後ろを歩くような敬愛で柔和な態度で会場から出てきました。会見後マッカーサーは予定を変更して自ら玄関まで見送りました。当時ソ連アメリカ本国では、天皇を処刑すべきとの主張がありましたが、マッカーサーはこれらの意見を退け、自ら天皇助命の先頭に立ったのでした。